旭川から網走まで、石北本線を各駅停車で9時間
旭川から網走まで、石北本線の各駅停車で移動する。旭川から網走までは200キロくらい。車なら3時間ほど、特急でも4時間くらいの距離を、この日は乗り継ぎの時間も含めて各駅停車で9時間かけて進む。これは、移動自体が旅であるということです。もっと効率のいい時間帯もありそうなのだが、各駅停車の旅に効率を求めると、旅そのものを否定するような感じがする。
今回のルート
- 旭川 07:00発 → 上川 08:13着
- 上川 11:11発 → 遠軽 12:41着
- 遠軽 13:00発 → 網走 16:05着
旭川から上川へ
旭川から乗った列車は、2両編成のディーゼルカーだった。旭川駅を出て数駅は高架を走る。学生が乗り込んできたりして、普通の郊外型列車という感じがする。
やがて列車は山の中へ入っていった。ディーゼルエンジンがうなりを上げ、坂道を登っていく感覚が伝わってくる。どうやら、また山の中へ入っていくみたいだ。この日は晴れていて、空の青さが気持ちいい。エアコンのついていない各駅停車だが、その代わりに窓を開けることができる。外の風を浴びながら、列車は一駅ずつ進んでいった。






上川駅で2時間半の途中下車して、1日2本しかない各駅停車に乗車
山の中にある上川駅に到着。駅構内に荷物を預け、町の周囲を散歩してみる。次の列車までは2時間半。少し遠くまで行くには足りないけれど、駅の周辺だけで過ごすには持て余す。そんな絶妙な待ち時間だった。


少し離れたところには蒸留所があるらしいのだが、朝早くてまだ開いていない。まずは昭和初期に建てられたという大上川神社へ行き、お参りしてくる。そのまま町の中を歩き、朝から営業していた「ぐるめ工房 か夢かむ」というパン屋で朝食にした。このあと夕方まで列車に乗り続けることを考えると、ここで食べておかないとな。

そのあとスーパーでビールを買い、駅前で飲んでいると、いつの間にか列車の時間になっていた。あとから旭川を出てきた列車の乗客と合流するような形で、遠軽へ向かう。ここから先を走る列車は、一日に2本しかない。そして、上川から白滝まで、なかなか駅に着かない。不思議に思って調べてみると、上川駅から白滝駅までは41キロ離れていて、日本一駅間が長いらしい。これって山手線一周よりも長いらしい。そら列車はなかなか次の駅につかないはずだ。
何本ものトンネルを抜け、廃駅や信号所を通り過ぎ、ようやく白滝駅に到着した。とはいえ、乗る人も降りる人もいない。列車はすぐに再び走り出す。
高速道路と並行して走っているが、このあたりはずっと山の中で、人が生活している雰囲気をあまり感じない。昔はもっと賑わっていたのだろうか、と思ったりする。



雨の遠軽駅で乗り換える
遠軽に近づくにつれて雨が降ってきたので、開けていた窓を閉める。車内は静かで、人もほとんどいない。雨の音もあって、どこか眠たげな空気になっていた。
遠軽駅の近くには大きな岩山があり、列車はそこを回り込むようにして駅へ入っていく。かつてはこの先にも路線があったらしいのだが、今は行き止まりの駅になっている。
外は雨なので、ホームで次の列車を待つ。20分ほどして、網走行きの列車が出発した。



北見駅で30分の停車
相変わらず外では小雨が降っている。車内には学生が何人か乗っていた。この列車の本数で通学するのは結構大変そうだと思うけれど、慣れてしまえば、そんなこともないのかもしれない。
長いトンネルを抜け、どこまでも続く畑を眺めていると、急に景色が開けて北見に到着した。列車はここで30分停車するらしい。30分? それはもはや違う列車じゃん、と思うくらい長い。それでも、ちょうどいい休憩だと思って駅を出てみる。
北見駅前は、思っていたよりもかなり都会だった。このあと向かう網走よりも栄えているように見える。東急百貨店の跡には地元が運営するデパートがあり、地下の食料品売場を見て回ったり、トイレへ行ったりしてから列車に戻った。



雨のなか、網走へ
北見を出るころには雨も小降りになり、やがて車窓に網走湖が見えてきた。途中の小さな駅では、「女満別空港に行く方はここでお降りください」というアナウンスが流れた。しかし、ちょっと騙しているんじゃないかと思うくらい小さな駅だった。自分が空港へ行くときは、絶対にバスか車にしようと確信する。


そして夕方、網走駅に到着した。
朝の旭川を出たときの爽やかな青空から一転し、途中から雨が降っていたこともあって、後半はなんだか静かな行程だった。
あとから知ったのだが、夏の道東はこんなふうに曇りがちな天気らしい。
旭川から網走まで約9時間。早く着くことだけを考えれば、もっといい移動方法はいくらでもある。それでも窓から風を浴び、長いトンネルを抜け、途中の町を歩き、誰も乗り降りしない駅を眺めながら進んだ時間は、ただの移動ではなかった。
各駅停車で一駅ずつ進んでいく、その時間自体が旅だった。












